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(再) チャイナガール

無事に、6月から読書会が開かれ「すみのえライブ」も発行されました。 ↓は8月に提出したものですが、文字を16ポイントから14ポイントに小さくしたら、もっと書けるようになったので少々増やしました。ちょっとわかりやすくなったかも。
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 チャイナガール
                 川崎佳子
ハノイの市バスの話。私がいた三年の間にすごく便利になった。当初バスに乗りたくても、いつ来るかわからないし来ても、ものすごく混んでいて乗れない。

それならばと長い滞在なるので自転車を買った。
初めて自転車でスーパーに行ったとき、膝が出るくらいのショートパンツにTシャツという格好だった。大きいスーパーまで行ったので自転車で三十分くらいかかった。往復したら、日光が当たっていた足の部分が真っ赤になっていた。日本での感じで言えば、一日、浜辺にいたのと同じくらい焼けていた。日差しが強い。半年もしたら、日焼けで真っ黒になった。そんな事情で、バスが便利になったのは嬉しかったし、そのバスも楽しかった。

 マナーがどうのこうのと、やたら制限の多い日本と違って、バスの乗客全員が知り合いかと思うほどにぎやかだった。後ろの方の乗客が何かを言ったら、前の方にいる誰かが面白いことを言い、ほかの乗客が笑う。ほかの誰かがまた何かを返す。また笑いが起こる。もちろん、何を言っているのかわからないが、楽し気な雰囲気はわかる。携帯も、これ見よがしな大声で話す。皆が好き勝手にしゃべっているので気にならない。人がのびのびしている感じがする。


 街中では、知らない人と話すことが多い。自転車を止めて道を聞いたら、何人もの人が答えてくれる。
たいていの場合、あっちだと教えてくれる人がいたら、それは違うこっちだという人が現れ、道を聞いた私のことはほったらかしで議論が始まる。まるで役に立たない。そっちは構わないで近くで商売をしている女性に聞く。すぐに答えてくれて案外正確だ。


もう一つ知らない人と話すネタは、買ったモノの値段だ。買い物をして帰ろうとすると「それいくらで買ったの」と誰かが尋ねてくる。売り物に定価がないせいもあり、相場の値段が知りたいのだ。妥当な値段で買えば、そんなもんだと言ってくれるし、安く買えたらほめてくれる。

 ある時、バックホア大学の学生街のカフェで友達と待ち合せをした。バックホア大学には工業系の学部がたくさんあり、その周辺に学生が多く住んでいる。学生好みの店も多く、一般のハノイの街とは少し雰囲気が違う。時々見物がてら遊びに行った。
 
 その学生街の入り口にモルタル塗りの建物があり、その一角に二~三坪の小さな店があって若い男性が店番をしていた。そこから当時はやっていた音楽が聞こえてきた。 「その曲なんていうの」 と店番の人に聞いたらチャイナガールでタイから来た音楽だという。
 軽いポップスだ。それいい曲だよね、CDほしいんだけど…などなど、言葉がわからないまま調子よく話した。

 長くハノイにいる間に、タイミングよく相槌を打つという芸を身がついた。CD―Rにチャイナガールとその他いろいろ入れてもらって、相場の値段で買った。著作権がある日本で市販の音楽をコピーして売ったりしたら警察につかまるが、ベトナムでは全然かまわない。 
 
 その夜、パソコンでCDを聞いてみたら、何時間聞いてもチャイナガールが出てこない。いつ終わるのかもわからないほど気前よく曲を入れてくれたようだ。一度、最後までCDをきいてみたら夜明けまでかかった。ついでに言うと、何語なのかもわからない。ベトナム語ではない。中国語でもタイ語でもなさそうだ。何がどうなっているのか。
 
まあ、役に立たない芸もあるということで。  つづく



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あと百歩


図書館の読書会、ずっと中止なので4月分も、こちらに出しました。

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 あと百歩            川崎佳子
 
 寝つきが悪いので、音楽を聞きながら眠ることにしている。
最近聞いているのはチャン・マイン・チュンという人のサキソフォンだ。
ハノイのジャズクラブで買ったCDが二枚ある。日本語の歌詞がつけられそうな曲があって、うまい詩が浮かばないかなあと、ベットの中で考えていたら狼のことが思い出されてきた。


 アラスカに住んだ星野道夫という写真家の本 「旅をする木」 の中に出てくる狼だ。

マッキンレー山の南面から流れ出る氷河の一つ、ルース氷河で一人キャンプをしていた時に、四千mから八千mあるというマッキンレー山から氷河へ下る一条の動物の足跡を見つけた。何の足跡か見に行ったら狼だった。マッキンレー山を超えてきたのだろうか…と言うもので狼そのものが出てくるわけではない。
 たった一匹でマッキンレー山を超えてきたのか、どこからきてどこへ行くのかと印象に残った。


 それを思い出したおかげで、ジャズクラブへ一緒に行っていた人たちのことを思い出した。
毎日同じのルーチンワークに耐えられなくなって会社を辞め、日本語教師になりハノイに来たという人、漆工芸を勉強しながら日本語教師で生活費を稼いでいる人、四か国語を話せてホテルで働いている人、ハノイの会社で働いていて三か国語を話す人とか、能力もあり努力できる人たちだ。


 こんな人がたくさんいた。みんな女性で、一五から二〇歳は年下だった。
彼女たちを見ていると「時代が変わる」ということはこんなことかと思う。
何の気負いもなく希望に向かって努力し手に入れていく。いろいろ雑音があるに違いないのだが、言わないのがお約束だ。


 内心、ついついブオンクワーな男性たちと比較してしまう。
女性が家庭の外で働く仕事が皆無に近い時代を生きた母の年代に近い。
年齢的には、彼らの真ん中くらいに私はいる。どっちつかずで中途半端な人生だ。
いつもどこかで何かが、あと一歩足りない。いやいや、あと百歩かな。


 「旅をする木」を教えてくれたのは、この中の一人だ。三、四人で週末のライブのある日に行っていたと思う。
チューブネオンで店名が出ていた。
テーブル席が二、三十ある大きな店で、夜八時ごろからライブが始まる。帰りはセオムと呼ばれるバイクタクシーで帰るのだが、時々は歩いて帰った。三十分くらいで帰れる。ライブハウスから歩いて帰る道の街路樹は大きかった。
民家の屋根よりは、だいぶ高い。


 ベトナム戦争が終わって二十五年。街路樹が小さいところはアメリカによる北爆を受けたところで、街路樹が大きいところは北爆を免れたところだと聞いている。そのころ住んでいた所は街路樹が小さくて、ジャズクラブからの帰りに通るところは大きかった。
寝静まった静かな町の大きな街路樹の下を歩いた。時折バイクが通っていく。
それだけのことが音のない動画を見ているように、心の中に残っている。

現在のコロナ禍のなか、自宅でネット宴会をしている若い人たちは、今後何をどう考え、どういう風に生きるのだろうか。 

  続く


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ブオンクワー生活

コロナのせいで図書館は休館。会報も出ないので、こちらに先に出すことにしました。

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    ブオンクアー生活

ベトナム語は母音が十一個あって声調が七種類もある。

発音さえ正確にできれば語順も時制もそれほど気にしなくても通じるようだ。その代わり発音ができなければ何も通じない。ベトナムの小学一年生は一年かけて発音を学ぶそうだ。その小学一年生の教科書を借りて発音の勉強をしようとしたこともあるが、早々にギブアップした。難しくて歯が立たないのである。

母音が五つで声調もない日本語は、様々な規則を設けることで複雑なことを言い表す。書くことも複雑で、最近では気分を表現する絵文字まで使われている。日本の小学一年生は読み書きから始まる。

一時、同じアパートで暮らしたことのある旅行会社を経営している日本人女性は難なくこなしていた。若くて柔軟でもあり音楽をやっていたそうで音感もいいようだ。ま、私は、どうにもベトナム語が身につかなかったので、三年もいたのに不便で困った。

 困ったことがもう一つ。初対面の人にいきなり年齢を聞かれるのである。タクシーに乗っても年齢から家族構成まで話題にする。日本の〇〇様とか〇〇さんに当たる呼び名につける敬称が、年齢とか男女で変わるせいもあるかもしれないし、日本人が天気の話をするのと同じ気分かもしれない。私も、聞かれたらプライベートをついつい正直に答えてしまう。

ベトナム人の日本語先生の家に遊びに行ったとき、例のごとく正直に答えていたら、家族構成のところで夫もいないし子供もいないと答えたら「ブオンクワー」と叫んで笑い出した。寂しすぎるでしょと言っていたのだ。ブオンは寂しいとか哀しいとかいう意味で、クワーは~過ぎるという意味だ。

 同僚の先生の部屋は、ダブルベットが半分を占めていた。ここで妹と従姉妹と三人で住んでいて、横に寝ればベットに三人寝られるそうだ。こんな感じの大家族で生きている人から見れば、たった一人の生活は寂しすぎると思うだろう。

 ほかの場所でも何度か笑われて、同僚に年齢や家族構成を聞かれたとき正直に答えているのか聞いてみたら、適当に答えていると言っていた。それならと、次のために話を作っておいたら、それ以後なぜだか誰からも聞かれなかった。適当な話は使わずじまいだ。

 彼女たちのブオンクワーより、本当にブオンクワーな話は、日本人男性のことだ。

 日本で定年退職した人が個人的にとか派遣されてとかでハノイに来ている。その年頃の人から見たら、適当に年下の私はちょうどいい相手に見えたのだろう。人を介して結婚する気はないかと聞いてきた人がいた。間に入った人は金持だよという。初対面なのに何を考えているんだろう。その他にも、日本料理の店を持たないかとか、一緒に住まないかとか、ひどいのは現地妻はどうかとか。

 もてた話ではなくて、いきなりこう言われる。私も一人だし話が合って楽しければ歓迎だけど、私自身には興味ないのが見え見えでは返事ができない。いい人いないかなあ、これが私のブオンクワー生活だった。 つづく



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引越し

 図書館主催の読書会に参加しています。読書会に会報があって、毎月一回発行されています。

 もう17年も前になるんですが、日本語教師としてベトナムのハノイに3年いたことがあります。その会報にハノイのことを書かせてもらうことになりました。せっかく書いたのでこちらにも出すことにしました。よかったら読んでみてください。
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 引越し  20200218       
       
 その頃のヒエンさんは、四十代前半くらいだったと思う。彼女との勉強で印象に残っているのがある。教科書の例文に「結婚すると後悔しますよ」というのがあって、唐突になんでこんな例文が出てくるのかと焦った。結婚している人にこんな例文失礼じゃないかと思ったのだ。

 ヒエンさんは、私のこんな逡巡を軽く超えて、これは本当ですよと自分の生活のことなど話してくれた。

 夫は公務員で、とても暇な仕事らしい。出勤後、十時ごろまでお茶を飲んでおしゃべりをする。仕事をしてすぐにランチ。少々仕事をして四時ごろに帰ってくるのだそうだ。ヒエンさんは日系企業に勤め、忙しく働き、日曜日に日本語の勉強までしている。
舅がご飯を食べさせてくれないと言って彼女を責めて困っているらしい。食べたことを忘れるなら病気かもしれませんねという話をした。後日、勉強中に「今日舅は夫の実家に移る。」と教えてくれた。自分の親だからか、夫がいろいろ世話をしていたが、結局実家に住んでもらうことになったそうだ。

 ハノイに三年いて三回引越しをした。
ヒエンさんが通ってきてくれたころ住んでいた家は、三回目だった。大家さんは通りに面している店で宝石屋さんをやっていた。息子さんのアメリカ留学の費用を作るために家を貸すことにしたらしい。

店の前の通りには、大きなゴムの木があった。気根がどっさり垂れ下がって、歩道もでこぼこになっている。そのでこぼこに朝だけフォーの屋台が出ていた。ゴムの木が濃い日陰を作ってくれるので暑いときはありがたいのだ。
大きな窓に天井から下がっている長いカーテンとか大きなベット、テレビやエアコン、キッチン、バストイレがあっていい部屋だった。それを私は格安で借りていた。

部屋を見に行った時、私は左足にギブスをしていた。遊びに行った帰り自転車で移動していたのだが、その時に怪我をした。バイクの洪水の中を車がゆっくり走り、自転車は端の方を遠慮がちに走るのだが、バイクのステップが足にぶつかり足首を打った。三日たっても腫れが引かないので病院に行ったところ骨にひびが入っているということだった。それでギブス六週間である。

怪我をしたころは五階建ての四階に住んでいた。
朝注射器が何本も玄関先に捨ててあるような環境だった。五階に用心棒代わりに大家さんの親戚の男の子が住んでいた。ここから移ろうと部屋を見に行ったのだ。後から聞いたのだが、日本語の先生が怪我をしているから応援してあげようと思って格安にしてくれたらしい。

用心棒の男の子がアルバイトしてくれて無事に引越しした。本とか着替え程度だからタクシー一台で十分だ。それでも、荷物を四階から降ろしたり、新しい部屋に入れたりはギブスの足では大変だ。つづく

はじまりはビートルズ  


 図書館主催の読書会に参加しています。読書会に会報があって、毎月一回発行されています。

 もう17年も前になるんですが、日本語教師としてベトナムのハノイに3年いたことがあります。その会報にハノイのことを書かせてもらうことになりました。せっかく書いたのでこちらにも出すことにしました。だいぶ前で情報の価値はないかもしれません。あるかもしれないけれど…、よかったら読んでみてください。

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      はじまりはビートルズ  2020/1/14

 月に一回映画を一緒に見る友達がいて、彼女が趣味でスピーカーを作っているらしい。それを一組くれるという。

 今月、映画を見に行った時に大荷物を持って現れた。手提げ袋から二個のスピーカーと小さなアンプ。スマホとかパソコンとかに対応するもので大きさそのものは小さいのだが、その他もろもろバッテリーとかケーブル、USBとその結果大荷物になったという次第だ。USBにはビートルズが20曲以上も入っている。映画が始まるまで30分あるので外のベンチで聞いてみようと言ってくれた。

 先月ビートルズの映画を見たおかげで、こんな展開になった。それは面白くて、ちょっと変な映画だった。   

 ある売れないミュージシャンが交通事故にあう。退院祝い(だったかな)の席でなにげなくビートルズを弾き語りしたら、皆が感動して「すごい曲を作ったね」とほめてくれる。彼は驚いて「ビートルズじゃないか」といったら、なんだそれはと返ってきて誰も知らないことに気が付く。ビートルズとコカ・コーラがない、つい隣のパラレルワールドってわけだった。

 いろいろあって自分の曲だと言って歌ったら大ヒットしてしまう。そんな話が続いて、最後の方に海岸でミュージシャンと漁師になっているジョンレノンが出合う。年齢を聞いたら78歳だと言い、よくぞ78歳まで生きてくれたとハグをする。
で、これがきっかけになって自分の曲だと言っていたが、実はビートルズの曲だと世間に公表する。

  この映画のおかげで友達がビートルズのLPをたくさん持っていることが分かって聞かせてもらう話ができた。

 でも、なかなか彼女の家に行けないので持ってきてくれたのだ。ありがたく家で聞いてみたらパソコンからやさしくて賑やかな音が出てきた。一人でニヤニヤしてしまうくらい嬉しかった。本当に久しぶりにビートルズを聞いた。

 いただいたスピーカーはパソコン専用にして、新しいステレオを買うことに決めた。カタログを見ながら長い間迷っていたのだ。
電話で注文したら翌日届いた。はやい。

 翌日、ステレオをセットしてキューバのおじい様バンドのCDのつもりで出してきたのが、3年暮らしたベトナムの首都ハノイで買ったCDだった。パッケージの色が似ていたので間違えたみたいだった。ハノイにいたときにはパソコンで聞いていたのだが、新しいステレオで聞くとまるで違うものみたいに思った。

 あとで本棚を見たらベトナム語のCDがたくさんあった。こんなに買っていたとは自分でもおもいがけなかった。というより、すっかり忘れていたのだ。

音楽を聴きながら思い出すのは、行ってすぐのころにみかけたハノイの女性のことだった。
お昼を食べに行ったとき、女性たちが食べるときの行儀が悪いと思った。その行儀の悪さが私には好ましいものとして映った。町の食堂でどんぶり飯をかっこんで、楊枝をくわえてバイクに乗ってさっさと帰っていく。足がだるいときは遠慮なく椅子に足を上げる。

 人の目を気にして自分が人にどう評価されるかに恐々としているより、たくましく働きたくさん食べて堂々と生きている…ように見えたのだ。本当のことは何にも知らないが、そんな風に勝手に想像していた。


 日本語教師をするためにハノイに行ったのだけど、何年か後に個人教授をしたヒエンさんから話を聞くと、ハノイの女性は本当にたくましいと思った。 

親の面倒を見るのは長女の役目で、もちろん経済的な面倒も含んでいる。家事も子育てもみんな彼女がする。男性はしないんですかときいたら、あまりしないと言っていた。でも、こまごまと聞くうちに、日本人男性よりははるかに家事にかかわっているらしいと分かった。  
CM
プロフィール

猫さらだ

Author:猫さらだ
毎日なんとなく幸せ。グダグダ生活していたら、引越しと新しい仕事が同時にやってきました。なんか面白いことが始まりそうです。(残念ながら引越しはなくなりました、別の新しい仕事をしながら大阪でいます)


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