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すっかり真夏


12月分の読書会のエッセイ。昔のネタをいつまでやってるんでしょうね。
とか言いつつも、結構面白い。(^^♪

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ユートピアは過去にあり?18年から20年前のハノイのことを書いています

    すっかり真夏
                                          
 二〇〇二年五月六日のホームページ。
五月はすっかり真夏、暑いのと埃っぽいのとで、自転車に乗る時の格好はすごいことになる。帽子にサングラス、三角巾みたいなマスクで顔の下半分と首を隠して、手は肘より上まである日焼け防止手袋をしている。
写真は、この人誰って感じだ。

 その次の写真は、友人の家の近くのビアホイ。

ビアホイとはビアホールのこと。ビールの樽に氷を括り付けて冷やしている。そのとなりでビアホイのご主人が笑って写っている。その横に直径一mくらいの大型扇風機があった。息が止まるほどの風がくる。
 それでビールがおいしかったかどうかは全然おぼえていない。


 当時住んでいた家の裏の通りは、商店街みたいになっていてビアホイもあった。


ビンを持って時々買いに行った。安かったが、なんか味が違う。ビアホイのビールってこんなもんかと思っていたが、何回目かにやっと気が付いた。ビールに水を混ぜて売っていたのだ。でも、結構流行っている店みたいだった。


 その二、三軒先に犬肉屋さんがあった。

 いつか食べてみようと思っていたが、結局行かなかった。女性には人気がなくて行きたい人がいなかったし、一人でも行きたいほどではなかったので行かずじまい。
 バイクに犬肉を積んで、納品に来ているのはよく見かけた。裸になった犬をそのまま二,三匹荷台に括り付けて届けに来るのだ。尻尾が細くて長かったのが印象に残っている。


 その犬肉屋さんの先に二車線くらいの広い道路があって三階建てのビアホイがあった。
 こちらのお店は、ちゃんとしたビールを出していた。生ビールだった思う。もっとも、私はビールの味なんかわからないのだけれど。おいしかったのはポテトフライ。ごくごく普通の塩味だけど、ジャガイモがおいしくて、ポテトフライもおいしかった。

 特筆すべきは、夏だけ売っている冷たいお茶。

 緑茶を濃く入れたものを、氷がいっぱいのグラスに入れてくれる。これは道端で売っていた。お姉さんが天秤棒で担いでくる。
カゴ二個に、お風呂の椅子みたいなものやコップ・やかん・コンロ・商品などお店一式をいれ適当な場所に開店する。夏の暑い日に授業を終えて自転車で帰るとき、このお茶屋さんを見つけたら必ず飲んだ。


 この頃行っていたのは、日本へ研修生としてくる人たちの学校で三か月ほど日本語を勉強してから渡日する。

 中国、韓国、台湾と希望する国別にコースがあるようだ。それぞれに費用がかかって日本が一番高い。借金して参加する人も多い。
 授業が終わって、生徒たちとお茶でも飲めれば楽しいかもと思うが、困ったことに一緒に行けば、生徒が先生におごらなければいけない習慣になっている。ベトナムの先生は薄給だ。

 そんなわけで、ほこりっぽい道端で一人お茶を飲むことになる。おいしかった。   つづく。




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平民食堂


11月分の読書会も無事終了しました。コロナ早く終わってほしいですね。
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  平民食堂
                                  川崎佳子

 前回、昔作ったホームページ見たら書けるなんて、大きなことを言ったけれど、見てみたらほとんど忘れていた。
三回目の記事が、お昼ご飯のことだったので、食堂のことなど思い出してみたい。 

        
 一般的な食堂のことをビンザンと呼んでいる。日本語に翻訳したら平民食堂となる。大阪の「まいどおおきに食堂」とか「ザめしや」みたいなシステムである。店の前に出来上がった料理をたくさん並べてあって、それを見ながら注文する。
 
 例えば、四人で行ったら、ご飯は四人分を大きい丼に入れてくる。ほかの料理も四人分を一度に入れてくる。各自に小さなお茶碗が配られて、それにご飯とおかずを取り分けて食べる。


 メニューは、日本にもあるものもある。厚揚げとか具沢山の卵焼き、大根とかインゲン豆の炒め物。春巻きのあげたもの。
日本にはないものが野菜のスープ。野菜が日本にないもので、丸い小さな葉っぱ。夏の暑い時期に飲むスープで身体の熱を下げる効果があるそうだ。

味は、ニョクマム(魚醤)と出汁で日本人にはなじみやすいかも。
全体的な印象は、中華料理のあっさり版という感じ。あとは、フォーとか、ブンとかのお米の麺類のお店。米粉を使ったお好み焼き風のものとか米粉のクレープみたいなものとか米粉のシュウマイ風とか、お米を使った料理が多い。 
 
日本も、お米の減反政策などしないで料理を工夫したらよかったのにと、農家生まれの私は思う。つづく。


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ホームページ


 10月の読書会も無事終了しました。図書館の読書会会報の作成が私に回ってきて、何十年も続いているものを引き受けたので、しっかりやらねばという気持ちです。

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   ホームページ                    川崎佳子

 ハノイのことを書き始めて六回目。そろそろネタ切れかなと思っていたら、ホームページを見ればいくらでもあるのを思い出した。

 ホームページを始めたのは二〇〇一年で、もう一九年もまえになる。約半年、ベトナム語を勉強して、そのあと仕事を紹介してもらって日本語教師になった。教師になるのも初めて、日本語を教えるのも初めてとまるまる全部初めての、くそ度胸というしかない初めてだらけなので、仕事のことを書けば、泣き言やら愚痴やら悪口やら見苦しいことこの上ない状態になる。都合の悪いことは全部カットしたホームページになった。

 仕事から帰っても話し相手になってくれる人がいるわけでもないし、外に行ってもベトナム語は話せない。勉強はしたけれど、たどたどしく用を足す程度なので、家にいるしかない。それで暇つぶしに、ホームページビルダーを使って作った。

 最初は、どうしていいのかわからないので、写真も、作った日付も入ってないし、ネットにあげるだけで精一杯。だいぶ状況説明を加えないと、意味が分からないページもある。

 ハノイに行って初めて住んだ家は、いわゆる文教地区にあって一軒家を三人で借りていた。四階建ての長屋形式と言ったらわかりやすいだろうか。一階が共通スペース。キッチンがある。二階三階四階に、一部屋一人ずつ。各部屋にトイレ、シャワーがある。私以外は日本人の留学生だ。壁を接する隣の家も同じ作りである。個人の家だったり会社だったりだ。
通りを挟んだ向かいがフランス人の学校で、リセと呼ばれる小学校だったような気がする。でも、高い塀で囲まれていて中は見たことがない。私は四階に住んでいたが、覗けないようになっていた。

 ベトナム語の教科書の例文で「夏の雨は大きい」というのがあって、多いじゃなくて大きいかいな、ふうん…と思っているうちに八月が来て、ほんとに夏の雨は大きいことが分かった。一日に一度、大粒の雨がやけくそみたいにグワ~っと降って、短時間で止む。

 ある夜、熟睡しているのが飛び起きるほどの、雷の音で目が覚めた。バケツの水をひっくり返したような大雨、バケツというより風呂おけをひっくり返したような大雨が降ってとても眠れない。遠くで犬が吠えているのが聞こえた。夜があけて一階へ降りてみたら、浸水している。

 四階の自室から外を見ると、前の道は水没していて人は歩けない。ベトナム語の学校へ通っていたころのことで、学校は行けないなあと思いながら眺めていたら、バイクが来て、水の中を通過できずエンストして動かなくなった。バイクを押して歩いている人の横を、半分水につかった自転車が走っていく。

 そのうち、各家の玄関前の土台を利用して、パン売りのお姉さん、野菜売りのお姉さんが通り始めた。この調子だと買い物に行けないし、来てくれたら助かるし、みんなたくましいなあと感心していたら、いろいろなものが通り始めた。会社へ行くらしい人達も、何事もなかったように水の中を歩いていく。

 そしてなんと、バスまでが来て運転手さんがバスを洗い始めた。ここまで来てやっと、これはいつもの日常なのだと気が付いた。私は、台風一過の水害みたいな感覚で見ていたのだ。水の中を歩くのが嫌なので、学校は休むことにした。

ハノイの道路には、フランス式の下水道設備があるが、あまりに急激な雨降りなのでオーバーフローするのだ。
半日もすれば、水は引く。

 私がハノイを引き上げた二〇〇三年以降、GDP六~七%程度の経済成長が続いているらしいので、もしかしたら、この水害は昔語りになっているかもしれない。とはいうものの、日本へ研修生でやってくる人は依然多く、研修生の斡旋をする会社への支払いなど借金を抱えてくる人も多い。このガッツある人達を文句なく尊敬している。              つづく



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(再) チャイナガール

無事に、6月から読書会が開かれ「すみのえライブ」も発行されました。 ↓は8月に提出したものですが、文字を16ポイントから14ポイントに小さくしたら、もっと書けるようになったので少々増やしました。ちょっとわかりやすくなったかも。
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 チャイナガール
                 川崎佳子
ハノイの市バスの話。私がいた三年の間にすごく便利になった。当初バスに乗りたくても、いつ来るかわからないし来ても、ものすごく混んでいて乗れない。

それならばと長い滞在なるので自転車を買った。
初めて自転車でスーパーに行ったとき、膝が出るくらいのショートパンツにTシャツという格好だった。大きいスーパーまで行ったので自転車で三十分くらいかかった。往復したら、日光が当たっていた足の部分が真っ赤になっていた。日本での感じで言えば、一日、浜辺にいたのと同じくらい焼けていた。日差しが強い。半年もしたら、日焼けで真っ黒になった。そんな事情で、バスが便利になったのは嬉しかったし、そのバスも楽しかった。

 マナーがどうのこうのと、やたら制限の多い日本と違って、バスの乗客全員が知り合いかと思うほどにぎやかだった。後ろの方の乗客が何かを言ったら、前の方にいる誰かが面白いことを言い、ほかの乗客が笑う。ほかの誰かがまた何かを返す。また笑いが起こる。もちろん、何を言っているのかわからないが、楽し気な雰囲気はわかる。携帯も、これ見よがしな大声で話す。皆が好き勝手にしゃべっているので気にならない。人がのびのびしている感じがする。


 街中では、知らない人と話すことが多い。自転車を止めて道を聞いたら、何人もの人が答えてくれる。
たいていの場合、あっちだと教えてくれる人がいたら、それは違うこっちだという人が現れ、道を聞いた私のことはほったらかしで議論が始まる。まるで役に立たない。そっちは構わないで近くで商売をしている女性に聞く。すぐに答えてくれて案外正確だ。


もう一つ知らない人と話すネタは、買ったモノの値段だ。買い物をして帰ろうとすると「それいくらで買ったの」と誰かが尋ねてくる。売り物に定価がないせいもあり、相場の値段が知りたいのだ。妥当な値段で買えば、そんなもんだと言ってくれるし、安く買えたらほめてくれる。

 ある時、バックホア大学の学生街のカフェで友達と待ち合せをした。バックホア大学には工業系の学部がたくさんあり、その周辺に学生が多く住んでいる。学生好みの店も多く、一般のハノイの街とは少し雰囲気が違う。時々見物がてら遊びに行った。
 
 その学生街の入り口にモルタル塗りの建物があり、その一角に二~三坪の小さな店があって若い男性が店番をしていた。そこから当時はやっていた音楽が聞こえてきた。 「その曲なんていうの」 と店番の人に聞いたらチャイナガールでタイから来た音楽だという。
 軽いポップスだ。それいい曲だよね、CDほしいんだけど…などなど、言葉がわからないまま調子よく話した。

 長くハノイにいる間に、タイミングよく相槌を打つという芸を身がついた。CD―Rにチャイナガールとその他いろいろ入れてもらって、相場の値段で買った。著作権がある日本で市販の音楽をコピーして売ったりしたら警察につかまるが、ベトナムでは全然かまわない。 
 
 その夜、パソコンでCDを聞いてみたら、何時間聞いてもチャイナガールが出てこない。いつ終わるのかもわからないほど気前よく曲を入れてくれたようだ。一度、最後までCDをきいてみたら夜明けまでかかった。ついでに言うと、何語なのかもわからない。ベトナム語ではない。中国語でもタイ語でもなさそうだ。何がどうなっているのか。
 
まあ、役に立たない芸もあるということで。  つづく



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あと百歩


図書館の読書会、ずっと中止なので4月分も、こちらに出しました。

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 あと百歩            川崎佳子
 
 寝つきが悪いので、音楽を聞きながら眠ることにしている。
最近聞いているのはチャン・マイン・チュンという人のサキソフォンだ。
ハノイのジャズクラブで買ったCDが二枚ある。日本語の歌詞がつけられそうな曲があって、うまい詩が浮かばないかなあと、ベットの中で考えていたら狼のことが思い出されてきた。


 アラスカに住んだ星野道夫という写真家の本 「旅をする木」 の中に出てくる狼だ。

マッキンレー山の南面から流れ出る氷河の一つ、ルース氷河で一人キャンプをしていた時に、四千mから八千mあるというマッキンレー山から氷河へ下る一条の動物の足跡を見つけた。何の足跡か見に行ったら狼だった。マッキンレー山を超えてきたのだろうか…と言うもので狼そのものが出てくるわけではない。
 たった一匹でマッキンレー山を超えてきたのか、どこからきてどこへ行くのかと印象に残った。


 それを思い出したおかげで、ジャズクラブへ一緒に行っていた人たちのことを思い出した。
毎日同じのルーチンワークに耐えられなくなって会社を辞め、日本語教師になりハノイに来たという人、漆工芸を勉強しながら日本語教師で生活費を稼いでいる人、四か国語を話せてホテルで働いている人、ハノイの会社で働いていて三か国語を話す人とか、能力もあり努力できる人たちだ。


 こんな人がたくさんいた。みんな女性で、一五から二〇歳は年下だった。
彼女たちを見ていると「時代が変わる」ということはこんなことかと思う。
何の気負いもなく希望に向かって努力し手に入れていく。いろいろ雑音があるに違いないのだが、言わないのがお約束だ。


 内心、ついついブオンクワーな男性たちと比較してしまう。
女性が家庭の外で働く仕事が皆無に近い時代を生きた母の年代に近い。
年齢的には、彼らの真ん中くらいに私はいる。どっちつかずで中途半端な人生だ。
いつもどこかで何かが、あと一歩足りない。いやいや、あと百歩かな。


 「旅をする木」を教えてくれたのは、この中の一人だ。三、四人で週末のライブのある日に行っていたと思う。
チューブネオンで店名が出ていた。
テーブル席が二、三十ある大きな店で、夜八時ごろからライブが始まる。帰りはセオムと呼ばれるバイクタクシーで帰るのだが、時々は歩いて帰った。三十分くらいで帰れる。ライブハウスから歩いて帰る道の街路樹は大きかった。
民家の屋根よりは、だいぶ高い。


 ベトナム戦争が終わって二十五年。街路樹が小さいところはアメリカによる北爆を受けたところで、街路樹が大きいところは北爆を免れたところだと聞いている。そのころ住んでいた所は街路樹が小さくて、ジャズクラブからの帰りに通るところは大きかった。
寝静まった静かな町の大きな街路樹の下を歩いた。時折バイクが通っていく。
それだけのことが音のない動画を見ているように、心の中に残っている。

現在のコロナ禍のなか、自宅でネット宴会をしている若い人たちは、今後何をどう考え、どういう風に生きるのだろうか。 

  続く


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CM
プロフィール

猫さらだ

Author:猫さらだ
毎日なんとなく幸せ。最近グランドゴルフをやってます。毎日2時間、スマートになる予定。


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